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最近、某有名掲示板で、こんな書き込みを見た。

「1歳半の子どもがどうしても欲しがっている、
 マッ○のハッピーセットのおもちゃがある。
 週に7回買って私が全部食べたが、当たらなかった。
 店舗によっては、選ばせてくれるところもあるというので、
 店員さんに頼んでみた。
 すると、奥から出てきた上司っぽい店員さんに、
 とてもキツイ言葉で注意され、涙がでてしまった。」

コレを読んで、私は苦笑してしまった。
多くのコメントが付いていたので、みんな私と同じように思ったのかな、と読んでみたら、

「店員さんひどいですよね~。」
「店舗によって対応が違うマッ○がおかしいですよね~。」
「オークションで手に入りますよ~。」
等、擁護するコメントが続々。

「そこまでして息子におもちゃを与えるのはどうか、店舗側の責任にするのもおかしい」
という少数派の意見に対しては、
「そんな言い方、ひどいです!!
 自分の子どものために一生懸命になるのの、どこが悪いんですか?!」
「子どもの気持ちに応えてやりたいと思うのは親として当然です。」
という反論が。

読み終えてしばし、考え込んでしまった。
こういう親が多数派なのか、と。
それが「親の愛情」なのか、と。
これから子育てをするということは、こういう考えの親たちと付き合っていくということなのか、と。

私には、週に7回もマッ○に行って、子どもの要求に応えようとする親の行動が理解できない。
それを擁護する考えにも共感できない。
オークションで金を積んで、子どもの欲しいものを手に入れてあげるのが愛情だとは思えない。
こう思う大人は少数派なのだろうか。
それとも、私も実際に子育てを始めたら、同じように行動してしまうのだろうか。

これは一例だが、確かに現在の日本で子どもを育てるのは難しいだろうなぁ、と思う。
私が育った時代には、「我慢すること」が当たり前であった。
コンビニもファストフードも、24時間営業のスーパーも、魅力的なショッピングモールもなかったし、
ビデオもゲームも、おもちゃも「なくて当たり前」の時代だった。
物も食べ物も、何でも豊富で、安易に手に入る便利な社会。
そんな社会で、我慢することを知らずに育った子どもたちは…
いったいどんな大人になり、どんな親になるのだろうか。

朝から晩までお菓子ばかり。
家のご飯を嫌がり、コンビニやファストフードに行きたがる子。
どこへ行くにもゲーム持参。
友達の家はもちろん、公園に集まってもみんなでゲーム。
兄弟の試合を応援に来ていてもゲーム。
祖父母宅に遊びに来ていてもゲーム。
「待つ我慢」を知らない子。
見たい時に、見たいものを見られるTV、PC、DVD、ネット。
幼いころからの過度なオシャレ。
親の希望もあるのだろうが、子供らしくない髪型や服装、高級ブランド、化粧。
少し大きくなると、家族みんなで携帯。
親子の会話なく、それぞれが指を動かす。
「ご飯できたよ~。」
のやりとりさえメールでしている話もよく聞く。

前回の記事に書いたような、
「遊び感覚で子育てを始め、遊びじゃないと分かったら放り投げる」親の多くが、
こういう、「我慢を知らない」育ち方をしている気がするし、
そんな親に子どもを育てたのは、
「子どもにものを与えること」イコール「育てること」だと勘違いしている親であるように思う。

ここを見直さないと、虐待、育児放棄は減らないのではないだろうか。
子育てや結婚生活は「遊び」ではないし、
「自分の欲求や欲望」を叶えたいという気持ちを抑えられないような『子ども』に
できることではないのだ。

養護施設に暮らす子どもの数4万人以上。
戦後、戦災孤児や貧困を理由に施設を頼らざるを得なかった時代の数を超えた、のだという。
昭和36年以来、47年ぶりの数字であり、
そのうち2人に1人が虐待の経験をもつという。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/395564/
今年も間もなく、終戦記念日が来るが、
あの、人が人でなくなった、悲惨な時代を越えて、
祖父母や両親の世代が必死に創ってくれた現代の社会で、
苦しむ子供の数が増えているなんて、申し訳なく思う。

ずっと考えて来たことを文章にしたら、
思いもかけない長さになってしまった。
だれか1人でも読んでもらって、少しでも共感してもらえたら有り難いが、
人がどうこう、ではなく、
今の自分のために、これから生まれるわが子のために、
その子を育てていく未来の自分のために、
今の思いを書き遺しておこうと思った。

人との付き合い、つながりをもっと大切にしなくちゃいけない。
親戚づきあいは面倒臭いとか、
義両親とこまめに連絡をとったりまめに遊びに行ったりするのは気疲れするとか、
高齢の祖母の世話は任せられるところに任せておけばいいとか、
「楽」な付き合い方をしてはいけない。
ウチから子どもの泣き声が響き渡った時に、
「児相に連絡するご近所さん」じゃなく
「どうしたの??何かあった??」と声をかけてもらえるような近所づきあいも
大切にしなくちゃいけない。
そうやって、私が人との絆を大切にすることが、
いつか私の子どもの支えに、財産になるのだと思う。
そして、私自身も、もっと周囲を支え、頼ってもらえるようにならなければ。

同時に、子どもに我慢の大切さを教えられる大人になろう。
そのためには、自分ももっと我慢をしよう。
(コレガイチバンデキテナイ...)
モノではなく、人としての豊かさを身をもって教えられる母になろう。

1人1人が、自分の半径500m以内の虐待に気付こう、
まずは、自分の目に入る子どもの笑顔を、元気を守ろう、
そう思い、人とのつながりを深く、強くしていくことが、
今、誰にでもできる簡単で確実な虐待防止法なのではないか、と私は思っている。

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